米沢牛と加工肉の専門店 米澤紀伊國屋 「人にやさしく。お客様と共に喜びあえる美味しさの創造」をテーマに質の高い米沢牛をお届けします

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チャールズ・ヘンリー・ダラス




C・H・ダラス肖像画像
米沢牛を語るときに必ずC・H・ダラスの名前が登場します。

明治4年1月に洋学舎米沢興譲館が設立され、10月に当地初の外国人教師として招聘されました。彼は前年まで大学南校(現在の東京大学)の教師でした。 米沢での月給は250円(当時米一俵は1円12銭)三ヶ月前払いという高給でした。米沢では3年余り教鞭を執り、英語、仏語、数学、経済学、地理を教える 傍ら、サッカーや陸上競技を紹介したりもしていました。一方で、住民に牛肉の食べ方を広めたり、英国の風俗慣習、生活様式の数々を教えたり、米沢の街を気 軽に散歩し、通りすがりの子供達に米沢弁で話しかけたりする気さくな人柄であったそうです。
興譲館で教鞭を執っている間に、英語の発音に関する著書『英音論』を執筆したり、「米沢方言」と「置賜県収録」の二つの論文を日本アジア協会会報に発表して米沢を広く海外に紹介しました。

彼は米沢を去るに当り、兼ねてから米沢の牛の味に魅せられていたので、自分が雇っていたコック万吉を、親しくしていた女性ゆきと夫婦とし、家屋資金まで 与えて牛肉屋を開かせました。そして店の名前を『牛万』と命名し、米沢の牛肉店の元祖とも云われています。場所は大町横町でしたが、残念ながら今はその面影はありません。

彼はさらに、米沢の牛を横浜の居留地に持ち帰り、仲間の英国人に振る舞ったところ仲間達はその味にたいそう感激しました。その反応に我が意を得た彼は早 速に米沢の馬喰を横浜の牛肉問屋と契約させ、米沢の牛を『米沢牛』と命名して売り出したところ、これが評判を呼び、米沢牛の名前がたちまち全国に広まった と伝えられています。

このことから、C・H・ダラス氏を米沢牛業界では米沢牛の恩人と呼んでおります。
当店では1993年11月にダラス氏を顕彰いたしたく立像を近代こけし無鑑査作家の故志藤尚山先生に制作を依頼し、建立いたしました。当時はイメージでの製作でしたが、イメージがぴったりでびっくりしています。

肖像画像は国立国会図書館からの引用です。本画像の複製は国立国会図書館の許諾が必要です。
2006年、国立国会図書館所蔵の「大学学生溯源 上巻」の中にダラス氏の肖像画像が掲載されていることがわかりました。
当店では同図書館より転載の許可をいただき、掲載しております。


米沢牛

2005年8月、本店前に牛のモニュメントを置きました。
ほぼ実物大の米沢牛。一般的な和牛より小柄です。
この米沢牛は時報にかわり「モォォォォォ〜」と元気に時を刻みます。実際の米沢牛の鳴き声です。
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